アルタムーラはマテーラから北に20kmほどのところにある町です。
プーリア州バーリ県の一つのコムーネ(基礎自治体)で、人口は7万人強と、マテーラよりも1万人ほど多いです。
◎ 歴史的中心地区
町の中心部には壁で囲まれた旧市街があり、往時の壁や門もまだ部分的に残っています。
門をくぐるとフェデリコⅡ世通りです。↓ 左はフェデリコⅡ世通りとバーリ門、右はフェデリコⅡ世通りと大聖堂の鐘楼です。
◎ サンタ マリア アッスンタ大聖堂
旧市街にある、立派なサンタ マリア アッスンタ大聖堂(カッテドラーレ)が有名で、1232年にフェデリコⅡ世によって創建されました。プーリア・ロマネスク様式の建築です。
◎ クラウストリ(Claustri)
クラウストリ(囲い地という意味だそうです)というのも有名です。これはアルタムーラの旧市街の主要な通りに向かって開く、特徴のある小さな広場、または交差する道でできた変形の広場です。
ギリシャ様式とアラブ様式があり、ギリシャ様式は丸くて中心に井戸か木があり、アラブ様式は細長い行き止まりの道で突き当たりに雨水をためる井戸があります。
特に特徴的で絵になるのは、Giudecca、Inferno、Tradimentoです。
◎ アルタムーラのパン(Pane di Altamura)
アルタムーラも豊かな穀倉地帯で、アルタムーラのパンという有名なパンもあります。
マテーラのパンと同じようなデュラム小麦で作るパンで、両者はライバル同士です。
イタリアではアルタムーラのパンの方がよく知られているそうです(というより、マテーラのパンは無名のようです^^;)。
↓ 1423年から続く古い薪窯のあるパン屋さんです。
新聞紙に火をつけて窯の中に投げ入れライトアップ(?)し、窯の中を見せてくれました。
◎ 巨石の壁の遺跡(le Mura Megalitiche)
アルタムーラ駅から旧市街に行く道を途中で左に折れて、サッカー場の方に行くと、紀元前6世紀から3世紀に建設された、ペウケティ族の文明に遡る巨石の壁の遺跡(Megalithic Walls)が見られます。
◎ アルタムーラの男(Uomo di Altamura)
1993年に、アルタムーラの市街地から4-5kmほどの場所にある、ラマルンガ洞窟のカルスト地形のドリーネ(石灰岩地域でみられる陥没地。雨水が石灰岩の割れ目に沿って集中的に地下に浸透する過程で周囲の石灰岩を溶かすため、その溶食作用や、地下の石灰洞の拡大による地表の陥没で地表に生じる。擂鉢穴や落込穴がある)から、128000年から187000年前のネアンデルタール人の骸骨の化石が発見されました。アルタムーラの男(Uomo di Altamura)と呼ばれています。
骸骨は岩にはまったままなので、レーザースキャナーで得たデータから、シリコンを使って、アルタムーラの男の顔と体が今年復元されました。
◎ プーロ ディ アルタムーラ(Pulo di Altamura)
アルタムーラから北に約6kmのところに、プーロ ディ アルタムーラと呼ばれるカルスト地形のドリーネがあります。ムルジャ平原で最も大きなドリーネで、幅約550m、深さは最も低いところで95mあります。
◎ アルタムーラの恐竜
アルタムーラからサンテーラモ イン コッレ方面に4kmほど行ったポントレッリというところに、もう使われていない採石場があります。
1999年、そこで保存状態の良い4000個以上の恐竜の痕跡、秩序だった足跡が残る、約7000万年〜8000万年前の白亜紀後期に遡る地層が発見されました。
少なくとも5つの違った種の200以上の標本となる痕跡で、大部分は草食性の恐竜のものですが、肉食性のものもあります。
プーリア州は白亜紀には現在とは全く異なった気候でした。今の赤道付近の国々と似た熱帯性気候で、その領域は泥だらけの大平原でした。
この種の生痕化石は世界の他の場所でも発見されていますが、いくつかの要因が、アルタムーラで見つかったものをその種の中でも比類ないものとしています。まず第一に、保存状態が非常に良いこと、次にはっきりと確認できる異なった種の数がとても多いことです。
残念ながら一般には公開されていません。場所はグーグルマップで、「Orme di Dinosauri (Cava Pontrelli)」で検索してください。
◎ マテーラからアルタムーラへの行き方
マテーラからFALの鉄道かバスで約30分です。
昔のブログ記事です。