マテーラのヴィットリオヴェネト広場の地下に、パロンバーロルンゴと呼ばれる、マテーラで一番大きな貯水槽があります。
過去にはサッシ地区のすぐ外の、ヴィットリオヴェネト広場近くの平坦な地区にあるすべての建物に、水を供給するための水源として使われていました。
1991年に再発見されたばかりで、その時はまだ水があったので、ゴムボートでの調査でした。現在は水が抜かれ、設けられた通路を通って、貯水槽の内部を見学することができるようになっています。
大きさは、一番深いところは約15mあり、長さはサッカー場に相当します。
壁の表面には水が到達したたくさんの水平線が残っていますが、最大で約5000立方メートル(500万リットル)の水が入ると考えられます。
ヴィットリオヴェネト広場のちょうど真ん中の地下にあり、パラッツォ デル アンヌンツィアータの下まで広がっています。
貯水槽内の壁は丸い形で、内部の大きな水圧を和らげることができるようになっています。
凝灰岩の壁を防水にするため、全体にコッチョペストという昔の漆喰が塗られています。
マテーラでは、16世紀の終わりから、サッシ地区のすぐ外側の平坦な地域(ピアーノ)の都市化が始まり、現在の、リードラ通り、コルソ通り、ヴィットーリオ ヴェーネト広場、9月20日通りという17-1800年代風の町のメインストリートができ上がりました。
その結果、それらの地区の住民へ水を供給する必要性が生じました。
サッシの住居は、それぞれが雨水を集める貯水槽を備えていましたが、新しい市街地の住居は建物のタイプも異なり複数の階からなるビルで、より多くの貯水槽によって構成された公共の水のシステムを実現することになりました。
トラモンターノ城の丘(ラピッロの丘と呼ばれる)のふもとの水が湧き出る公共の給水場のすぐ近くにあった地下の空洞と貯水槽を利用しながら大きな水槽が作られて行きました。
パロンバーロルンゴは、人口増加と町の拡大に伴い、常に水の必要性が高まっていったため、元々の貯水槽は、他の小さい貯水槽や、いくつかの住居を吸収しながら何回も形を変えて、より大きくなっていきました。文書で確認できる最後の拡大は1870年ごろに遡ります。
どのような方法でこの貯水槽に水が送られていたのか、まだ水が送られているのかわかっていません。
雨水の他に、パロンバーロルンゴにはトラモンターノ城の丘の上にある泉の湧き水も集められていましたが、そのような、近くから少量の水を集めること以外、それ以上の開口部は追跡することができませんでした。
しかし、この数年間に、帯水層の水が数多くの迂回をしながら、直接パロンバーロに合流しないにもかかわらず、それに隣接しているところに噴出し岩から吸い込み、壁や底を通して貯水槽に出ていることが確かめられました
ヴィットーリオ ヴェーネト広場の舗装工事の結果として、2つの穴を通じて外から小さいバケツを貯水槽に下ろして水を汲むということが行われていました。
現在のパロンバーロの入口がある場所で穴を観察することができます。
貯水槽の上部にバケツを置いていてできた丸い跡があるのはそのためです。
バケツの多くは、貯水槽の中に落として失くしていたのですが、その後ゴムボートでの調査の過程で発見されました。
地下のマテーラ:パロンバーロ・ルンゴ
ヴィットリオ・ヴェネト広場地下
OPEN 10:00〜13:00, 15:00〜18:50
料金:3ユーロ(18歳以下入場無料)