教会
グロッシ邸のある小さな広場から少し階段を下りると、左手に教会があります。たぶんマードレ ディ サン ニコーラと言う名前の教会です。
この教会に一歩足を踏み入れて……、驚きました。
教会の一番奥の天井は落ちていて、がれきの上で植物が育っていました。教会にあったものはことごとく盗まれ、ほぼ何も残っていません。祭壇まで持って行かれたそうです。
クラーコへ来て一番驚いたのが、この教会でした。
廃墟の町は荒廃してさぞや恐ろし美しかろうと思ってクラーコに来たものの、街並みはわりときれいなので(マテーラのサッシの一部の方がボロボロに見えるくらいです)、肩すかしな感じもあったのですが、この教会の中は荒んで、怖いくらいでした。
考えれば、建物内を唯一見学できたのがここでした。ということは、外からはきれいに見えても、他の建物の中もこんな風にものはなくなってボロボロになっているのかもしれません。
↑ これは昔のクラーコの写真です。映画館もあるほどの賑やかで文化的な町だったそうです。教会の鐘楼が見えます。
MEC – ムゼーオ エモツィオナーレ ディ クラーコ(歴史博物館)
クラーコの町の見学が終わったら、次は博物館の見学です。以前修道院だった建物を修復しています。
↑ あっかんべーは魔除けの意味があるとか(??だったかな???)。
修道院の横には教会も残っていました。 ↓
中庭を囲む回廊にパネルがたくさん貼られていて、クラーコの町の詳しい説明が書かれています。
↓ 青い部分は地盤が強固なところで、地すべりは起こっておらず、建物はそのまま残っているそうです。下の図に立体的に描かれているのは、最も高いノーマンタワーを中心として、左側に長く伸びているのが地盤の強固なところで、右側は現在見学のできる旧市街です。
ゆくゆくは、地盤がしっかりしているところも、見学可能にしていきたいそうです。そのためにはお金が必要なので、見学者にもっと来てほしいとおっしゃってました。
小さくて見えづらいですが、下の図の右側に縦に6つの図が示されていますが、たぶんクラーコの町が時代と共にどのように拡がっていったかということを表しているのだと思います。
町のより新しい部分が地すべりで崩壊しているようです。
その博物館でも見せてもらいました。こちら ↓、クラーコで撮影されたCMとそのメイキングです。マテーラのサッシも写っています。
最後にもう一度クラーコの日本語ガイドツアーのご紹介です
クラーコの見学の予約はこちらから(日本語です^^/)。
私はマテーラからクラーコまで往復の送迎もお願いしました。75ユーロでした。私は1人で行ったのですが、人数によって、送迎の値段は変わるかもしれません。
クラーコに到着すると、日本人の優しいガイドの橋本さんがにこやかに出迎えてくれます^^
今年の6〜7月の私のイタリア旅行のクライマックスは、クラーコ行でした。
いつもは計画性のない旅行で、事前に予約をして(それも日本から)ガイドツアーに参加することなどまずないので、それで余計に気合の入ったイベントになってしまいました。
なのに……、一眼のズームレンズを忘れるわ、頼みのiPhoneのカメラはバッテリーが途中でなくなるわ、あとで写真をチェックしたら、知らないうちにいらない写真や動画をどんどん撮ってるわ(大体、道路の…)、など、この機会をわずかでも無駄にするまいと必死で、逆にテンパってしまってたように思います^^;
クラーコに行く前、実はもっと朽ちた場所を想像していたので、旧市街(パルコ・ムゼアーレ・シェノグラーフィコ・ディ・クラーコ)が結構きれいに残っていたのに驚きました。
人が住んでいる集落との違いを感じない、というか、今まで行ったことのある、もっと静かな雰囲気でたぶん空き家も多かったであろう田舎の町や村よりもきれいだなと思いました^^;;;
クラーコに行って来た話しを、B&Bを営むマテーラの友人にしたら、マテーラに2、3泊したとして、1日遠出をするとしたら、大体皆アルベロベッロに行く。アルベロベッロをやめて、クラーコに行くという旅行者はまずいないだろうと言っていました。
アルベロベッロの方が断然有名なので、それはそうかもしれませんが、カランキの風景も含めて、クラーコも見ごたえのあるいいところなので、これから多くの人に訪れてほしいなと思いますm(__)m
2017年 ルカニアで直輸入しているオリーブオイルです | ||||
ドン・ジョヴァンニ |
ドン・ジョヴァンニ |
ドン・ジョヴァンニ |
ヴィリデ 750ML |
ラチェルトーザ |